
🧑🏫Bさん(歴史解説者):「ねぇAさん、2025年に“現代の米騒動”って言われた事件、知ってる?」
👩💼Aさん(主婦):「ニュースで見たかも。農水大臣が“コメを買ったことがない”って発言して、辞任した件でしょ?」
🧑🏫Bさん:「そう、それ。江藤拓元農水大臣の発言は、今の消費者心理を完全に逆なでしてしまったんだ。実際、5キロ4268円という高騰した米価が続いていた時期だったから、生活への影響は深刻だったよね。」
👩💼Aさん:「そうそう、主食が高すぎると食費に直撃するもんね…。で、どうしてそんなに高くなったの?」
🧑🏫Bさん:「大きな原因は、JA全農が農水省と連携して米の市場供給量を抑えたこと。つまり“流通制限”だね。さらに備蓄米の9割以上が放出されてないのも問題。いわば“組織的な売り渋り”だと受け取られても仕方がない。」

👩💼Aさん:「まるで昔の“打ちこわし”みたいな話…」
🧑🏫Bさん:「それがまさにポイント!江戸時代、米価操作や売り渋りが原因で起きた“天明の打ちこわし”と今の状況がそっくりなんだ。」
■ 江戸時代の“米価操作”とその結末
江戸時代、幕府は歳入確保のため米価を人為的に操作。宝暦11年(1761年)から御用金(今で言う強制国債)を豪商に課し、米を買い上げて価格を調整しました。ところが、天明2年(1782年)から天候不良や浅間山噴火による飢饉が始まり、米が本当に不足すると、商人たちが買い占めて売り渋るようになります。
結果、天明3年には群馬や長野で農民が商家を襲撃。幕府が江戸市中に備蓄米を回したり、「米穀売買勝手令」で誰でも米を売買できるようにしたりと対応しましたが、効果は限定的でした。
■ 天明6〜7年:全国30都市以上で暴動
天明6年には全国的な不作が襲い、米収穫量は3分の1に激減。これにより米価がさらに高騰し、天明7年には全国30都市以上で「打ちこわし」が発生。
江戸では米屋が500軒以上破壊され、隅田川に身を投げる人が相次いだ記録もあります。打ちこわしの参加者は「コメの価格を下げて民衆を救え!」と叫びながら行動していたそうです。

👩💼Aさん:「今と似てるね…当時の人たちの叫びが聞こえてくるようだわ」
🧑🏫Bさん:「まさにそれ。令和の私たちは“打ちこわし”こそしないけど、怒りの声はネットを中心に渦巻いてる。江藤前大臣が気づかなかったのは、そこだったんだよ。」
👩💼Aさん:「米価の安定って、政治の責任なのね…」
🧑🏫Bさん:「うん。そして、歴史から学ぶべきことが、今ほど重要なときはないと思うよ。」
【まとめ】
「コメ騒動」は現代だけの問題ではなく、歴史のなかでも繰り返されてきた。米価操作、売り渋り、民意の怒り──江戸の過ちを繰り返さないためには、政治家や行政機関が“国民の生活に寄り添う姿勢”を常に忘れてはならない。

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