久米宏|「報ステ」40分追悼はなぜ“事件”だったのか?🕯️

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A(視聴者):ねえ、13日の「報道ステーション」、冒頭から雰囲気が違いすぎなかった?
B(解説役):うん。あれは“追悼特別版”として、久米宏さんを送るための演出が最初から仕込まれていたんだよ。📺

A:いつもの「報ステ」のオープニングじゃなくて、いきなり「ニュースステーション」だったよね。
B:そう。久米宏さんが18年以上メインキャスターを務めた「ニュースステーション(Nステ)」のオープニング映像・音楽を復刻して、番組をスタートさせた。ここがまず、視聴者の心を一気に“あの時代”へ戻したんだ。🎷✨


久米宏|追悼の中心は“オープニングから40分”の異例構成⏳

A:追悼って、普通は数分のVTRだと思ってた…。
B:今回は違う。オープニングからCMをはさみつつ、約40分間も追悼特集を組んだ。ニュース番組としてはかなり異例だよ。

A:それだけ“存在が大きい”ってことか…。
B:まさに。久米宏さんは、ただの司会者ではなく、テレビのニュース番組の“形”そのものを変えた人として語られているからね。


久米宏|「Nステ」→「報ステ」へ受け継がれた“遺伝子”とは🧬

A:「報ステ」って、そもそも「Nステ」の後番組なんだよね?
B:そう。久米宏さんが1985年〜2004年まで「Nステ」を牽引し、2004年から「報ステ」へバトンが渡った。番組名が変わっても、ニュースに向き合う姿勢の根っこは受け継がれていると言われている。

A:受け継がれた姿勢って具体的に何?
B:ざっくり言うと、こう👇

  • 事実を“最後まで掘る”執念
  • 難しい話を“平たい言葉”にする工夫
  • 権力者にも遠慮せず、視聴者目線で問いを投げる姿勢

A:なるほど、ニュースを“こちら側”へ引き寄せた感じか。
B:そこを大越健介キャスターも語っていた。久米宏さんの登場で、ニュース番組が「より視聴者のものに近づいた」と。📝


久米宏|大越健介が語った“ひるまない司会術”🔥

A:大越さんのコメント、めちゃくちゃ核心突いてたよね。
B:うん。大越さんは、久米宏さんの強みをこう捉えていた。

B

  • 時の権力者にもひるまない
  • むしろ少し“面白がる”ように、視聴者が聞きたいことをスッと聞く
  • 「メディア=反権力」みたいに大上段じゃなく、呼吸や間合いも含めて“ニュース”として見せる

A:つまり、説教じゃなくて“ライブ”なんだね。
B:そう。視聴者は“その場の空気”ごと目撃する。だから、政治家の表情が変わる瞬間や、言葉に詰まる瞬間がニュースになる。😳📺


久米宏|渡辺宜嗣が明かした「肩書を外してきてね」という金言💬

A:渡辺宜嗣さん、目が赤かったよ…。
B:17年出演してきた立場から、言葉が重かったね。特に刺さったのがこのエピソード。

B:「最初に久米さんに言われたのが“宜嗣、アナウンサーという肩書を外してきてね”】【←ここが超重要】

A:どういう意味?
B:つまり「アナウンサーとして整った言葉を読むな」じゃなくて、一人の人間としてニュースを見ろってこと。
「人間としてどう思う?」「視聴者はどこが引っかかる?」を最優先にして、言葉を組み立てろ、という思想だね。🧠✨


久米宏|怖かった。でも嬉しかった—中継現場のリアル😱➡️😊

A:中継コーナーが「怖かった」って話もあったね。
B:うん。現場からの中継って、台本通りにいかない。その中で久米宏さんは、何を聞くか分からない。だから緊張感が極まる。

A:でも、終わった後に褒めてくれることもあったって。
B:そう。「宣嗣、おもしろかったよ」「よく気づいたね」みたいに、刺さる一言をくれる。
憧れの人からそれを言われたら、そりゃ原動力になるよね。😭👏


久米宏|“最後のビール”がノーカットで流れた意味🍺

A:で、最大の山場がさ…最終回のビール一気飲み。
B:あれは象徴だね。2004年3月26日の最後の放送で、久米宏さんは手酌でビールを注ぎ、飲み干して番組に幕を引いた。

A:今回はそれを“ノーカット”で放送したんだよね。
B:そう。編集で短く切り取るんじゃなく、言葉から所作までの流れを丸ごと見せた。
これは「久米宏のニュースは“言葉だけじゃない”」というメッセージでもある。

A:所作もニュースなんだ。
B:うん。間、表情、沈黙、空気。その全部が“伝える力”。久米宏さんの真骨頂だね。🍺🕯️


久米宏|「不滅の記録」—4795回・平均視聴率14.4%の重み📈

A:数字も紹介されてたよね。
B:初代プロデューサーでもあり、テレビ朝日会長の早河洋氏のコメントで、
**放送回数4795回・平均視聴率14.4%(関東)**という実績が語られた。

A:今の時代だと想像しにくい数字…。
B:当時のニュース番組で、18年半も“継続して見られ続けた”ということの凄さだよね。
しかも、それが“無難だから”じゃなく、時に賛否を生むほど攻めた番組で達成されたのがポイント。🔥


久米宏|「中学生でもわかるニュース」への執念📚

A:「中学生でもわかるニュース」ってコンセプト、よく聞く。
B:それは「難しいことを薄める」じゃなくて、核心を残したまま言い換えるってこと。

たとえば👇

  • 専門用語をそのまま流さない
  • フリップや模型など“視覚”で理解させる
  • 慣用句や紋切り型の表現を削って、自分の話し言葉にする

A:つまり、視聴者の理解を最優先にしてるんだ。
B:そう。これが“テレビ報道の革命”と呼ばれる理由の一つ。🧩✨


久米宏|“キャスターが意見を言う”是非論を先に引き受けた人🗣️

A:久米さんって、感情を出したり、意見を言ったりもしてたよね。
B:そこが賛否を生んだし、でも同時に新しかった。
「キャスターは中立であるべき」という考え方が強い中で、久米宏さんは**“視聴者の疑問”として言語化する**形で踏み込んだ。

A:断言じゃなくて「みんな気になるよね?」って形。
B:そう。だから政治家との丁々発止が成立する。
視聴者は「代わりに聞いてくれた!」と感じるし、当事者は“逃げづらい”。😮‍💨💥


久米宏|「また会いたい」…追悼の言葉が示した“人間的な引力”😭

A:渡辺さんの「本当にまた…会いたいですね」が忘れられない。
B:あれはテクニックの話じゃなく、久米宏さんという人間が現場に与えていた影響の大きさが滲んでた。

A:厳しい人だったのに、慕われてる。
B:厳しさの先に「面白さ」と「敬意」があったんだと思う。
現場を追い詰めるだけの厳しさじゃなく、“挑戦させる厳しさ”。そこに人がついていく。🕯️


久米宏|所属事務所の発表と葬儀—故人の美学🌿

A:事務所の発表も紹介されてたね。
B:所属する「オフィス・トゥー・ワン」が、久米宏さんが**令和8年1月1日に肺がんで逝去(満81歳)**したことを報告。
通夜・告別式は、故人の意向で近親者のみで執り行われたとされている。

A:最後まで“派手にしない”感じが、久米さんっぽい…。
B:うん。報道の中心にいた人ほど、私生活は静かに締める。その“美学”を感じるよね。🍃


久米宏|「徹子の部屋」放送差し替えも象徴的📺✨

A:追悼の波が「報ステ」だけじゃなくて、「徹子の部屋」まで。
B:そう。翌日の放送内容を差し替えて追悼特集を組むと発表された。
これは“テレビ史に残る存在”に対する、局としての敬意の表れだよね。🕯️


久米宏|今こそ見返したい「Nステ」の価値—“ヒリヒリ”の正体⚡

A:SNSでも「バチバチヒリヒリして怖い」って反応が多かった。
B:あれは、ニュースが“安全運転”じゃなかった証拠。
政治家の本音、怒り、困惑、言い訳、そのリアルが画面に出る。

A:怖いけど、見ちゃう。
B:それが“ライブ性”。
久米宏さんは、ニュースを「読み物」じゃなく「体験」に変えた人なんだと思う。🔥


久米宏|視聴者が受け取った“遺伝子”は今も生きている🌙

A:でもさ、久米さんがいなくなったら、そのスタイルって消えない?
B:完全には消えない。
大越さんも言っていたように、「事実をしっかり、ギリギリまで掘り下げ、分かりやすく平たい言葉で伝える」—その遺伝子は、今の番組にも確かに残っている。

A:たしかに、ニュースって“誰のものか”が大事だね。
B:うん。久米宏さんが近づけたのは、ニュースと視聴者の距離。
だから追悼が40分になった。
それは番組の都合じゃなく、“視聴者の記憶の大きさ”なんだと思う。🕯️✨


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久米宏|まとめ:40分追悼が示した“テレビ報道の革命児”の重さ🕯️

A:結局、40分って“長い”んじゃなくて、“足りない”のかもね。
B:うん。久米宏さんの功績は、番組の枠に収まらない。
でも少なくとも、あの夜の「報ステ」はこう伝えた。

  • 久米宏は「ニュースの伝え方」を変えた
  • 久米宏は「視聴者の疑問」を言葉にした
  • 久米宏は「空気ごと見せる」ことでニュースを体験にした

A:最後のビールまで、やっぱり久米宏だった。🍺
B:合掌。🕯️

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